2011年8月タンザニア出張中にカンブリア宮殿から取材依頼が来て12月に放映がされると国内で劇的な知名度アップとなった。風で織るタオルが市場から消えるという大騒動は翌2012年の間ずっと続き、2013年の創業60周年を迎えた。国内では池内タオル、風で織るタオル、海外では ikt と3種のブランドが存在し、統一が必要な時期に来ていた。1999年、国内は池内タオル、2000年のアメリカ展開はikeuchitowel で始めたが、先に評価されたアメリカで ikeuchi はアイケウチと呼ばれ、誰もイケウチと呼ばないので 2001年に ikt とブランド名を変えた。これなら誰もがアイケイテイ。後にヨーロッパで展示会を始めるとラテン系にはイケテイと呼ばれたが笑って過ごした。こういう経緯の中でブランドの統一化を前提とする CI をナガオカケンメイ氏に迷わず依頼する。CIは前職のTECHNICS や四国タオル組合のSTIAでも経験しているが、絶対的な人に十分に要望を伝え、決まったことには絶対的な信頼を持って実行する事が肝と実感していたのです。弊社サイドの現状や希望を十分議論できて将来的な方向性を提示いただける自分にとって最高と信じれるプランナーに依頼したかったのです。想いを込めてお願いメールを出したら”何で僕?”と言う、そっけない返事でしたが、それがナガオカさんらしくて、熱意で納得して CI スタート。池内のお願い事項は①ブランドの統一②イケウチは外すでした。何度も何度も打合せと聴き取り、そして弊社や代表の生い立ち、習わしなどあらゆる情報の分析から最終的な提案は IKEUCHI ORGANIC そして I マーク。池内の考えるオーガニックは他とは違うイケウチ式なので池内のイケウチではないと説得される。最終提案は最初から受け入れる覚悟でいたので全てを信じてGO!でした。ブランドのお願いでしたが一層のこと社名もブランド名と一緒にしようと2013年も押し迫って決断し、決算期に合わせて3月1日社名変更の相変わらずの直感的判断となりました。イケウチ式とは精密なオーガニックという意味を込めています。I のトレードマークの黄色は一般的なオーガニックを連想させない色という事で選ばれており、そして I の上下はアールを描いており、思い切り拡大すると地球の一部分が I 。世界へ拡がると言う思いが込められております。イケウチ式オーガニックの I 、今治の I 、愛媛の I 、インターナショナルの I 。大きな夢を抱いて IKEUCHI ORGANIC はスタートしています。
アメリカンジョークだった赤ちゃんが食べれるタオル
2014年2月の New York の展示会に合わせて日本より一足早くアメリカのクライアントに社名をお披露目。パーテイの挨拶をアメリカンジョークで語ろうと飛行機の中で考えたのが、《池内タオルは60年かけて全てのタオルを赤ちゃんが舐めても大丈夫なタオルにしました。次の60年2073年までに赤ちゃんが食べれるタオルを創ります》。英語文はすっかり忘れてしまいましたが・・・。それがいつの間にか標語になってしまいました。
体験型ストアにしたい
青山のTOKYO STORE の設計にあたっては、ストアではタオルを使っていただいて好きなタオルが決まったら、色とサイズを選んでもらうというスタイルだけは決めていたので(出来ればシャワールームだったが水回りとスペースの関係で手を洗うスタイル)、洗濯機がカウンターに組み込まれることだけが必須条件で、それ以外は CI に沿ったインテリアでお任せしたのです。ナガオカケンメイ氏からイケウチ式オーガニックを語るには The BeatlesとTECHNICS 抜きには語れないということで現在のBGMのスタイルが決定しました。TOKYO STORE の開店は社名変更の2014年3月1日には間に合わず3月18日。KYOTO は同年9月13日となりました。
]]>2024年2月11日は創業71周年。感謝です。その①。http://ikeuchitow.exblog.jp/29856250/2024-02-09T17:00:00+09:002024-02-26T13:20:03+09:002024-02-08T09:54:55+09:00keishi_ikeuchi未分類
当時のお得意様はタオル問屋であり、現在のように最終顧客からは随分と遠い所でモノづくりをしていた。あくまでも想像だが、先代は独立するにあたって育ての親会社と販売先での競合を避けるために輸出専業タオル会社として独立したと推測している。特に最初の20年は完全な輸出専業であり、中東への販売からスタートし、ヨーロッパで認められ、販売をドイツ中心に欧州で成功を収めていたようだ。これらを背景に創業20周年で大胆に工場の生産設備を全面的に入れ替える大投資をしたが、完成と同時にオイルショックが生じ、円高の影響で欧州一辺倒から米国、豪州そして国内への販売もスタートさせたようで、私が受け継いだ30周年の時は輸出国内比率は逆転しており、国内シフトの真っ只中であった。欧州は壊滅状態であったが、まだ30%程度はアメリカ、オーストラリア市場が占めていた。国内では新入り扱いで輸出メーカーとしては辛苦の時代に突入していた。
第2期(1983.2-1992)コンピュータ化そして織機の革新化
タオルのイロハが全くわからない。輸出企業の社内ではポンドとインチ。タオル業界では尺と匁が基準の異世界でタオルの設計がわからない、原価計算のイロハもわからないのわからない事だらけ... クライアントの発注があっても基本設計が出来ない。営業責任者に聴けば、タオルの価格は重量で決まっているからそれで十分という訳のわからない話。いずれにしても設計は工場長の仕事であったがまだ卓上電卓しかない時代では半日がかり、修正依頼をすると又半日。せっかちな新社長としては、この設計をオフコンでやるしかないと判断してタオルに詳しいプログラマーを紹介してもらって、何とか型がついたのは1985年頃。これも宮﨑タオルの宮﨑専務の力添えがあっての事である。(ずっと後の弊社のオーガニック化においても常に先人だった業界で一目置く先輩であったがお返しをする前に若くして逝去された。)このオフコンは時間を見つけるとあらゆる設計シュミレーションの相棒をしてくれた最高の秘書であり相談相手。自分の頭の中には数マンのシュミレーションを叩き込むことが出来た。この時期、業界では革新織機の登場で生産形態の大変革の嵐でもあった。弊社は20周年事業で織機全てを当時の夢の織機と言われたTOYODA8を全台入れ替えた最新工場が一瞬にして過去の工場になった激変の時代。世の中はレピアブームの最中で資金のある会社はスイスのサウラー、少し遅れて日本製レピアという潮流。弊社はグリッパー織機のスイスSULZERERにジャカード搭載という業界ではあいつはやっぱり変人と言われる織機選択を行った。さらにジャカードを横駆動から縦駆動、ダイレクトジャカードに電子ジャカード、CADの投入と積極投資の時代となる。償却のため生産は2交代となり、とにかく販売拡大路線の時代を支えたのは日本のバブルが背景にあったことは否めない。
第3期(1993-2002)脱タオル問屋から異業種商社へ。そして自社ブランド設立。
1990年前後からベトナムのタオルの日本流入、今治タオル大手の中国進出など海外製品との競合が顕著になってくる。加えて弊社の商品は海外のタオル会社のショールームに行けばサンプルとして並んでいるという話を度々聴くに及んで現行ルートからの脱却を一気に本格化させる。弊社はすでにCADを自由に使いこなしており、弊社に織れ無いものはないと言えるだけのバックボーンを背景に異業種への参入となる。今では笑い話であるが、弊社もこの時期ドーハの悲劇に見舞われる。ワールドカップのメインスポンサーからスポーツマフラー50万枚の内定もらっていたが、一夜で消えたのです。今思うとこの事で容易に他業種への転換が出来なかったお陰でしっかりした商品開発をしてハンカチ業界に参入できたことが良かった。ハンカチ業界でメインブランドを数えきれないほど任されて、その収益をベースに自社ブランドを起こす体制が整い、1999年3月20日の第1回今治タオルフェアでオーガニック120を発表した。タオルハンカチで十分な収益があり、キャッシュフローも安定していたので、自社ブランドはモノづくりする人間にとっては理想系のような綺麗事で埋め尽くされたコンセプトで、販売は二の次であった。商品コンセプトは《最大限の安全と最小限の環境負荷》を掲げ、同時に販売方針は①直接販売②現金取引③永久定番という当時ではあり得ない夢物語を掲げた。1999年12月にはJapan Creationで単独ブース、2000年1月にはカルフォルニアギフトショーと展示会出展。アメリカでは予想外に直ぐクライアントが出来、年3回の展示会を実施。2002年4月には New Yorkへ拠点を移し、同時にNew Best Award を取得し、綺羅星のような取引先に恵まれ順調に滑り出す。勢いにのってNYに ikt New York の小さい事務所まで設置する。
第4期(2003−2012)二足の草鞋を捨て自社ブランドで生きる
2003年1月31日第156回小泉首相施政方針演説で少し弊社の事に触れた今治タオルの紹介があった。その時、代表はNYのABC Carpet & Home の商談に移動中。JFケネデイ空港で取材を受け、3泊5日で成田に帰るとニュースステーションのクルーが待ち受けていた。
https://worldjpn.net/documents/texts/pm/20030131.SWJ.html
]]>3の提案が重なって没企画から復活して14年目。コットンヌーボー誕生のお話し。http://ikeuchitow.exblog.jp/29842561/2024-02-02T17:50:00+09:002024-02-02T15:06:53+09:002024-02-02T15:06:53+09:00keishi_ikeuchi未分類2023年秋摘みのタンザニアオーガニックコットンのみでつくりあげるコットンヌーボー2024。このプロジェクトは2010年の初春にデザイナーの佐藤利樹と弊社の阿部から提案された“ワインのように楽しむタオル”が始まりです。綿花の出来不出来を楽しむコンセプトは一見、面白そうな話であるが、綿糸はそういう作り方をしていないのです。元来、オーガニック綿糸は数年分の綿をブレンド、一般綿は各地の綿をブレンドして作ることで年度毎のバラツキを平準化しています。単年度の綿をしかも超特急で紡績する事は常識ではありえない話ですし聴いたこともありません。綿は農作物ですので、品質は安定しているわけでなく、品質が劣る年はどうする?今年の綿は出来悪いですが商品を楽しんでと販売することは出来ないのです。デザイナーやプランナーの思いつきだけで商品は作れないとその場で却下した提案であった。ところが、世の中、不思議な物で奇跡が重なり、コットンヌーボーの企画は復活、とんとん拍子で進行するのです。弊社のオーガニックコットンの供給先であるREMEI社からタンザニアのオーガニックコットンを日本へ初導入したいので相談にのって欲しいと突然というか必然のようなオファー到来。インドのオーガニックだけでは供給が不安定なのでタンザニアの契約畑の綿も導入したいのだが、どのクライアントも要望を聴いてくれない、弊社で何とか検討して欲しいという話だった。全てのクライアントにノーと言われたら、やる気満々の気質だし、COTTON NOUVEAU をデビューさせるには最適野素材であると考えた。提案の綿糸はタオルにはややストロングな触感だったので、弊社の仕様で紡績して、単年度の綿花で紡績してくれるならと要望すると、日本導入したい一心のREMEI社は何とかしましょうと合意、一気に話は進んだ。綿糸のオリジナル仕様となるとロットも半端ではないのだが、初年度は3トンで32S単糸を紡績してくれることになった。特注糸を3トンで作るのは異例の好条件であるが、とはいえ、キャッシュフローに大変苦しんでいる時期で、当時は簡単に用意できる金額ではなかった。同時期、今で言うクラウドファンデイングに近い手法だがミュージックセキュリテイからお客様にこのコンセプトを説明して資金を調達したらどうかと提案を受け、無事スタート出来たのです。2010年頃、クラウドファンデイングという言葉もない時代でしたが有難いことに弊社のフアンの皆様の支えで即座に資金は集まり発注が出来たのです。3トンで始まったタンザニアオーガニックコットンが今では何十倍にもなり、綿花栽培の中心になるとは夢にも思いませんでした。2011年2月に商品は無事完成し、タオル業界では異例のプレス発表、お客様を招待しての新製品発表会とあいなるのです。発表会場で、代表は興奮して、このタオルで生湯を使った赤ちゃんが成人する2030年まで続けますと公表し、さらにこの綿花を作ってくれたタンザニアの農家にタオルを届けますと宣言してしまったのです。このコットンヌーボーも今年で14歳に成長しています。そして、この年、ボジョレヌーボーの日をコットンヌーボーの日と設定し、REVIEW2011・PREVIEW2012を開催し、現在まで続く大イベントとなっています。例え素材の出来不出来があったとしても、その個性を活かす事がモノづくりの技と社内にプレッシャーをかけ続け、年々、改善を続けるコットンヌーボー。さて今年の出来は《驚くほどのしなやかさと力強さを秘めた柔らかさ》が代表のインプレッションです。是非、創業記念日祭の始まる2月10日に店頭で確かめてください。ps 2011年8月にはタンザニアの綿農家にコットンヌーボーをお届けしたのですが、タオルを見るのも、自分たちが作った綿花でできた商品を見るのも初めてのことでした。
]]>今年もありがとうございました。2024年もよろしくお願いいたします。http://ikeuchitow.exblog.jp/29801140/2023-12-28T10:23:00+09:002023-12-28T10:23:16+09:002023-12-28T10:23:16+09:00keishi_ikeuchi未分類
コロナも明けて、オンラインからリアルの転換に若干の違和感を感じながらも何時も変わらぬフアンの皆様の温かくそして熱い声援を背に受けてモノづくりに励んでおります。創業記念日の2月11日には私たちの想いや考え方を余す事なくお届けしようと9年ぶりにホームページを大刷新させていただきました。加えて、IKEUCHI ORGANIC の人、イケウチな人たちも充実させモノづくりの考え方をよりわかりやすく、多面的に発信していこうと励んでおります。年明けて1月11日からはポッドキャスト(IKEUCHI ORGANICと坂の途中・なんでやってんねやろ)も始まる段取りで収録を進めておりますのでご期待ください。
コロナの3年間は今治に籠りがちだったお陰でモノづくりに没頭した3年間でしたがオーガニック1040という新たなコンセプトの提案が始まっています。元来、タオルは家の中が中心で、家の外はスポーツタオルとタオルハンカチ程度という位置付けですが、順次、All Day , All The Time をコンセプトに24時間皆様と一緒の提案していきたいと励んでおります。
争いことにはサヨナラして愛溢れる笑顔の2024年を楽しみたいものです。
]]>2019年春にはブランド設立20周年!http://ikeuchitow.exblog.jp/27044746/2018-08-10T10:35:00+09:002018-08-10T10:35:34+09:002018-08-10T10:35:34+09:00keishi_ikeuchiオーガニックな会社をつくる
①『種からタオルのトレーサビリテイ』の公開:2015年のISO22000の取得以来、データ蓄積も丸3年目を迎え、愈々、20周年には公開できる目処がみえております。
② 新次元のオーガニックタオルを実現する原綿:2018年5月に種を蒔いたコットンも7月末には花が咲き順調に成長しており、天変地異がなければお披露目できると祈念しております。更に成長するモノづくりにご期待下さい!
2018年5月24日撮影
2018年6月12日撮影
2018年7月30日撮影
]]>5月12日(土)13日(日)第40回今治タオルフェア期間中はファクトリーストアもオープン!http://ikeuchitow.exblog.jp/26740585/2018-05-02T15:23:00+09:002018-05-02T15:23:34+09:002018-05-02T15:23:34+09:00keishi_ikeuchi未分類1999年春のしまなみ海道の開通に合わせて始まった今治タオルフェアも第40回。最初を担当した代表としては想い出深いものがあります。この時発表したのが、自社ブランドのファーストモデル・オーガニック120です。何と20年目を迎えるロングセラーの夢物語が現実となり、IKEUCHI ORGANIC の礎となっています。このタオルフェアに合わせ、ファクトリーストアは両日11時30分~16時オープンいたします。5月10日に発売開始になったモデルを含め、順次発売予定の The Beatles by IKEUCHI ORGANIC の全容をファクトリーストアで御紹介いたします。是非、お立ちよりください。]]>ヤア!ヤア!ヤア!Beatles by IKEUCHI ORGANIC がやってくる!夢が現実になる日。http://ikeuchitow.exblog.jp/26643809/2018-04-08T10:00:00+09:002018-04-08T10:00:31+09:002018-04-08T10:00:31+09:00keishi_ikeuchiオーガニックな会社をつくる1964年2月9日、The Beatles アメリカ上陸。その大旋風を3日遅れくらいの国際ニュースで目にした日から54年間ずっと一緒に人生を送って来ました。Beatlesを聴くためにオーデイオマニアになり、そして Technics へ入社。モノづくりのイロハを教わってタオル業界へ。業界では僕以上のBetlesフリークはいないと自負して来ましたが、昨秋、Beatlesとコラボ出来ないかと無謀なメールを打ってしまいました。夢が叶うって思い続ける事、そして行動に移す事なんですね。IKEUCHI ORGANIC 65年の織技術と池内54年の思いを込めて織り上げていきます。今年はApple Coaps設立そしてYellow Submarine 公開、そしてThe Beatles(The White Album)発売50周年の記念すべき年に間に合いました。まづは8デザイン2サイズの第一弾発表です。ご予約は4月20日から弊社公式 WEB SHOP、直営店に加え、THE BEATLES STORE JAPAN、SHINKO MUSIC RECORDS SHOP で受け付け致します。