旧年中はお世話になりました。新年も宜しくお願い致します。_d0033692_11221730.jpeg
2025年最初のご案内は IKEUCHI ORGANIC スマホアプリ完成のご報告からスタートを切る予定です。
一月中には解禁出来るよう頑張っておりますので、宜しくお願い致します。



# by keishi_ikeuchi | 2025-01-01 08:00 | Comments(0)
IKEUCHI ORGANIC LIVE TOUR 2024 ! オープンハウス無事終わりました。_d0033692_16172525.jpeg
終日雨模様の予報の中、11時30分の松山空港の集合時間には参加者のパワーで低気圧は吹っ飛んでいました。今年は定員を上まる46名の方が飛行機や列車を乗り継いで遥々愛媛県までやってきていただき感謝しかありません。まずは貸切バスでマルブン朝生田店へ直行。代表のパワー飯鉄板ナポリタンでスタートするのが初回の2017年からの習わしです。
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オープンハウスは概ね6ヶ月に渡り、意見を重ねながら大筋が決まった後は、整経、製織、検品、それぞれがセクション毎に試行錯誤を続けます。社長のメンテナンスと代表の部屋だけは前日の通しリハーサルに滑り込みです。代表も社長も受け持ちの準備で各セクションのリハーサルは全くみておりませんが、それはそれで、弊社らしく自発的に上手くいくのです。一度、代表も1ユーザーとして参加して全てを通しで見てみたいものです。参加の皆様が笑顔で楽しんでいただけたので全て良しと思っております。同じ工程を何度も何度も磨きをかけていく姿が私たちの出来る唯一のおもてなしです。
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オープンハウスの全容は近々、ホームページで紹介の準備をしております。暫く御猶予ください。まずは参加者の鳥井さんがブログで詳細報告していただいているので紹介させていただきます。

https://wasei.salon/blogs/ddb045ef14cf
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# by keishi_ikeuchi | 2024-10-31 16:57 | Comments(0)
綿花5000年、タオルが発明されて200年、今治タオル130年。
綿花はアフリカ、インド、南アフリカの赤道近辺に野生植物であった。長い歴史を経て茶色や緑色のカラードコットンは5000年に渡る品種改良で白くなる。欧州に綿織物が伝わるのは15世紀の大航海時代にインドで、あまりにも綺麗で光沢のある織物に感動し持ち帰った事で拡がっていくである。熱帯の植物であり欧州では育たず、18世紀に植民地となる米国で栽培が始まり、忌まわしい奴隷の輸出も始まり、人類の悲惨な歴史とともに綿花は世界に普及をしていく。綿織物が衣類の主流であった麻織物に取って代わるのは18世紀後半から19世紀にかけてと言われている。20世紀後半に開発された遺伝子組換の綿は21世紀になり生産量の約75%を占め、オーガニック綿糸は僅か1%強である。
全国33産地の競合の中で生き残りを賭けた今治タオルの130年①_d0033692_16444239.jpeg

どうして今治はタオル産地なんですか?とよく聴かれる。
江戸時代から温暖な気候で綿が育ち、綿織物があり、それを支える豊富で良質な蒼社川の水があった。これは代表が業界に入った頃から常に耳にして来た模範解答である。確かに事実であるが当時の綿織物産地共通の特徴であり、差別化要因にはなりにくい。手元にある4冊の日本のタオル発達史を読み直すと、先人達のタオルに掛ける情熱と知恵の集大成に加え、産地の生い立ちの得意性に支えられた歴史と思われる。明治の近代化の中で、どの綿織物産地も、過当競争に陥っており、市場で話題の新規分野のタオルに参入し、ピークの1922年(大正11年)には全国33府県にタオル産地は拡大している。我が愛媛県においても今治地区と八幡浜地区の2ヶ所のタオル産地がある程だった。タオル参入の先駆者でありリーダー的存在の大阪泉州に遅れること7年、三重や兵庫にも後塵をはいして綿ネル業の若き阿部平助がタオル織機を4台導入し生産を始める。1983年に代表が業界に戻って来た際には阿部平助氏ゆかりの阿部会社は経営は代わったものの今治を代表する1社として存在しており、脈々とタオル業を続けていたと信じていた。今回資料を読み返し驚いたことに、阿部氏のタオル運営は赤字の連続で綿ネル業でタオル分野を支えていたが、結局、タオル参入の10年後にタオル業からは撤退し、綿ネルに戻る。10年頑張った唯一の理由は綿ネル生産で生じる先染の綿糸の残糸の再利用にタオル織物で活用出来た為である。この事が後年の先染単糸の今治タオルという新たな価値を提供し商品差別化の柱となったのである。130年後の現在も先染の産地として大阪泉州の後染と異なる商品価値で差別化を続ける礎になっている。先染を手に入れた事で、デザインの差別化が今治のタオルの特徴となり、織組織の開発、さらにはジャカード織機の導入へと続いていく。タオルの初期は襟巻きとしてブームを起こし、その後、泉州を中心に日本手拭の代替品として普及していくわけである。元来、日本手拭からタオルへ転換した泉州にとっては当初からの願望でもあった。一方、今治産地は広幅でタオルを2列で織れるという効率は良かったものの、一幅織機の様に両サイドに耳が綺麗に出来ないので高級品とはみなされず、価格のハンデを負っていた。これを一気に解決したのが麓式2列バッタン織機で、綺麗に耳は出来る上に生産効率も2倍となり、品質改善に加え一機に価格優位性も発揮するのである。弱点を解決して優位性に立つ、今治ならではの粘り腰である。

 ☆先染の綿ネル業者がタオルへ参入し、単糸先染の差別化を誕生させる
 ☆麓式二挺バッタンという革新織機を開発
 ☆織組織の開発・発明でデザインの差別化
 ☆リーダーシップのある経営者
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広幅織機がバスタオル生産を可能とし、輸出で圧倒的に優位なポジションを得る
日本を代表する泉州は和手拭からタオルへの進出で、いずれは手拭がタオルになれば吸水性も良く一段と価値が上がると目論んでいた。そしてタオルの普及は手拭、浴布(ヨッキン、浴用タオル)へと市場を作っていく。一方、広幅織機の今治は二挺バッタン織機の開発までこのサイズを苦手としていた。第一次世界大戦後の綿製品の海外輸出の急増はタオル業界にも及んでくるが、欧州が主体とするバスタオルの生産は今治産地の織機に適合し飛躍的に産地拡大をし、今治タオル産地の存在感を急激に押し上げる。海外輸出では今治が60%強の占有率を確保し、日本全体の生産量、生産額で大阪を急追する立場となります。第二次大戦後の話は次回に。

# by keishi_ikeuchi | 2024-10-08 09:24 | Comments(0)
弊社と産地の関連は余り語りませんが、OTEMOTOから取材を受けました。今治タオル産地があっての弊社であることに変わりはありません。今回、OTEMOTOの創刊編集長小林亜希子様のご好意でブログへの転載の許可をいただきました。OTEMOTOには興味深い取材が多く掲載されております。
https://o-temoto.com/akiko-kobayashi/ikeuchi-organic3/


今治生まれのタオルメーカーが「いいものを安く」を目指さない理由。「1社1社がとんがれば産地も繁栄する」

小林明子

日本屈指のタオル産地・愛媛県今治市。タオルづくりの各工程に携わる小さな工場が集まり、分業体制で130年前から産業を発展させてきました。ところが1990年代、廉価な輸入タオルが台頭したことで、産地消滅の危機に瀕します。そんな中、今治生まれのタオルブランド「IKEUCHI ORGANIC(イケウチオーガニック)」は、メーカーの個性を示すビジネスを体現してきました。産地とビジネスの関係性について、池内計司代表に聞きました。


僕は大学卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社し、高級オーディオ機器ブランド「Technics(テクニクス)」にプランナーとして携わりました。12年間勤めた後、家業を継ぐために1983年に故郷の今治に帰ってきました。

今治には、紡績、撚糸、染色、製織など、タオルの製造工程に関わる小さな工場が集積しています。父が1953年に設立した池内タオル工場は、欧米向けの輸出用のタオルを主力製品としていました。その後、タオルハンカチの受託生産(OEM)で事業を拡大していきました。

僕が事業を継いだ当時は、タオル生産が全盛期を迎えようとしていた頃でした。約450社が今治タオル工業組合の組合員になっていました。「若いのが帰ってきた!」と物珍しかったようで、33歳だった僕は翌年から組合の役員をすることになりました。

そこから理事を退任するまでの約20年間は、会社にいるよりも組合にいる時間のほうが長かったように思います。とにかくやることが多かった。それは、海外製のタオルの輸入が始まり、全盛期だったはずの業界があっという間に翳りを見せ始めたからです。

IKEUCHI ORGANIC
池内計司(いけうち・けいし) / IKEUCHI ORGANIC 株式会社 代表(写真左)
1949年愛媛県今治市生まれ。一橋大学卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社。松下電器産業時代は、世界中のDJ から支持された名機「Technics」ブランドのプランナーとして活躍。1983年に家業を引き継ぐため池内タオルに入社し、代表取締役社長に就任。2016年6月から、ものづくりに専念するため現職。
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

より安い製品に負ける

1980年代の後半から、中国やベトナムからの廉価な輸入タオルが急増し、1999年にはついに輸入タオルが国産タオルの生産量を上回りました。

組合として2001年、国内産業が圧迫されることを防ぐための緊急輸入制限措置「繊維セーフガード」を発動するよう通商産業省(当時)に要請しました。東京の霞が関に何度も通い、北京にも行って中国側と直接交渉したこともありました。

結局、3年後に繊維セーフガードの発動は見送られ、タオル業界は壊滅的な打撃を受けました。今治で組合に残ったのは約160社。今治に限らず全国の産地で、「いいものをより安く」という"良心的"なものづくりをしていた工場から次々と倒産していきました。

安さを売りにしてしまうと、もっと安いものが出てきたときに太刀打ちできない。このときにそう学びました。

IKEUCHI ORGANIC
IKEUCHI ORGANICの製織職人は、手の感覚を頼りに糸の張力を加減する
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

繊維セーフガードの要請と並行して、タオル産地の構造改革のビジョンをまとめることになり、担当の一人になりました。当時の組合理事長から「池内がやっていることを書けよ」と言われ、このようなことを書きました。

「産地を有名にし、それぞれのメーカーが差別化し、自立していくことが必要だ」

今治は、タオルの製造工程を地域で分業している産地構造のため、担う工程によって企業の適正規模が異なります。しかし、糸を染める工場がなくなってしまったら結局、タオルを織る会社も生きてはいけません。産地を支えるためにも、1社1社がとんがって存在感を発揮していく必要があると考えたのです。

いま振り返ると、そのビジョンは池内タオルの歴史そのものになりました。

池内タオルもこの後に危機を迎えることになるんですが、「メーカーとして自立する」というビジョンが先にあったことで、むしろ思い切って別の道に舵を切ることができたのです。

IKEUCHI ORGANIC
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

赤ちゃんが食べられるタオ

池内タオルではタオルハンカチのOEMが好調でしたが、「自社でしかつくることができないものをつくりたい」「新しいことをどこよりも早くやりたい」という思いから、1989年に生まれた「エコマーク」をいち早く取得していました。

ただ、まだ環境に対する考えが浅はかな状態で動いてしまったことから、エコに関心がある人たちからダメ出しされ、環境配慮商品からいったん撤退するという苦い経験をしました。

そんな苦節を経たからこそ、「世界でいちばん安全なタオルをつくりたい」との思いは強まり、ついに1999年、自社ブランド「オーガニック120」を発表しました。僕たちが「永久定番」と呼んでいる、原料から生産までとことんこだわったオーガニックコットンタオルのシリーズです。

IKEUCHI ORGANIC
「永久定番」と呼んでいる「オーガニック120」
©IKEUCHI ORGANIC

今度はきれいごとにならないよう、環境配慮や安全性の裏付けにも気を配りました。使用電力は100%風力発電で、染色工場からの廃水は透明に処理。農薬や枯葉剤を使用しない有機栽培の綿を使い、タオル工場では初めて食品工場の安全基準を取得しました。のちに「2073年までに赤ちゃんが食べられるタオルを創る」という行動指針を掲げる根拠となりうる品質です。

「こんな景気の悪い時代に、ブランド品よりも高いプライベートブランドのタオルを売るなんて何を考えているのか」というのが業界の見方でしたが、東京ビックサイトやアメリカの展示会への出展が決まり、海外で受賞を果たし、日本のニュース番組でも取り上げられるなど、知名度が上がっていきました。

ところが、そんな矢先に思いがけないことが起きました。

2003年8月、年商の約7割を占めていた取引先だった東京の問屋が自己破産したのです。売掛金の焦げ付きで、池内タオルは約10億円もの負債を抱えることになりました。

追加融資を受け、タオルハンカチのOEMを続ければ延命することはできますが、同じビジネスモデルを続ける限り、今後も連鎖倒産のリスクを背負い続けることになります。羽ばたき始めたばかりの自社ブランドは、前年度は700万円の売り上げしかありませんでしたが、今後の自社ブランドの可能性にかけて、民事再生法の適用を申請しました。

このときに助けてくれたのは、「オーガニック120」で池内タオルを知ってくれたお客さんたちでした。個人のファンの方が「がんばれ池内タオル!」というサイトを立ち上げてくれたり、「あと何枚タオルを買えば存続できますか?」といった応援メールを3桁近くいただいたり。自社ブランドを掲げて自立するという方向性は間違っていなかったのだと確信しました。

IKEUCHI ORGANIC
IKEUCHI ORGANICの本社にはコットンが植えられている
IKEUCHI ORGANIC
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

メーカーが前に

一方、今治タオル工業組合のほうでは2006年に「今治タオルプロジェクト」がスタートし、佐藤可士和さんによるブランディングが花開いていました。僕は民事再生法の適用を申請した2003年に理事を退いたので歯がゆい気持ちもあったのですが、おかげで今治タオルの生産量は2010年にいったん下げ止まり、産地消滅を免れることができました。

とはいえ、タオル生産量は再び減少傾向となり、2023年末の組合員は79社。厳しい状況に変わりはありません。

「今治タオルの知名度が上がったのだから、より一層メーカーが前面に出ていってもいいんじゃないか」。僕はずっと同じことを言い続けているので、組合の中では異端児かもしれません。

IKEUCHI ORGANIC
本社には「今治ファクトリーストア」が併設されている
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
IKEUCHI ORGANIC

というのも、わが社に届くお客さんからのメールで、「今治タオルを買ったら、IKEUCHIじゃなかった」「今治タオルなのにオーガニックじゃなかった」といったお問い合わせが少なくないんです。数十のメーカーがつくっているという産地構造が知られておらず、特定の1社が今治タオルをつくっていると誤解されているのです。

今治タオルの中でも組合が定めた独自の品質基準をクリアした商品には、赤青白の「今治タオルブランド認定マーク」がついていますが、ここにはメーカー名の表記がありません。裏面の4桁の認定番号を検索すればメーカーがわかる仕組みになっています。

IKEUCHI ORGANIC
オーガニックコットンの糸はデリケートで、温度や湿度によって状態が変化する
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

自分でやってみたからわかるんですが、ものづくりを一生懸命している人たちは、売ることが得意ではありません。販路を開拓するのも大変です。たとえメーカー名が前面に出なくても、今治タオルの一つとして継続的に売っていけるメリットが大きいという事情はわかります。

ただ、今治タオル79社には79通りの特徴やものづくりの理念があり、各社のタオルに対する思いも違います。うちのタオルが好きだという人が他社のタオルを買って喜ぶかどうかはわからないし、その逆もあります。だからこそ、「79社ぶんのタオルを使ってみたら初めて今治タオルがわかる」といったコミュニケーションができたら、自社だけでなく産地としても繁栄していくのではないでしょうか。

例えば、眼鏡の聖地と呼ばれている福井県鯖江市には、金子眼鏡さんをはじめ、特徴のある自社ブランドが多数あります。複数の自社ブランドがとんがった形で存在している産地はすごく強いし、熱烈なファンがついてくれるようになるはずです。

川本昭さん
Akiko Kobayashi / OTEMOTO



そうして、お客さんが好きなブランドを見つけたら、今度は各メーカーがレベルを上げることで、しのぎを削っていく。タオルの吸水性に関する組合の品質基準で、タオル片を水に浮かべて5秒以内に沈み始める「5秒ルール」がありますが、それを満たしたなら、次は「うちは3.5秒に挑戦する」と宣言すればいいんです。

同じ製品をつくり続けながら、見た目を変えることなく品質を上げるのはとても難しいことですが、そうすることでお客さんを飽きさせず、満足してもらい続けることができると思うんです。

もはやメーカーというより僕だけがとんがっているようですが(笑)、イケウチオーガニックは産地があるからこそ生きていけるので、産地を持続させ、全体的にレベルを高め、繁栄させなければならないという危機感を強く持っています。

産地のためにできること

産地に対してできることとして、今わが社が力を入れているのが、人材育成のための活動です。僕の母校である今治市の乃万小学校の2年生に毎年、工場見学に来てもらっています。

IKEUCHI ORGANIC
会社見学にきた小学生に説明する池内さん
出典:IKEUCHI ORGANIC 公式note

また、中学2年生を対象にした愛媛県の事業「えひめジョブチャレンジU-15」にも登録し、3〜5日間の職場体験を受け入れています。好きなイラストを持ってきてもらい、最終日に自分で織ってみるんです。それを職人が彩色や縫製をして仕上げ、後日届けています。

ものづくりしたい子はたくさんいるのに、地元ではどんなことをしているかがわからないから結局、都会に就職してしまいます。生まれ育った地域の産業について知ってもらうためには、ただ待っているだけではダメなんです。

中学生をお預かりしてつきっきりで指導するのは正直かなり大変なんですが、この子たちが1人でも2人でも今治の産業を誇りに感じ、いつか帰ってきてくれたら。そう願い、産地のために続けています。

連載「職人の手もと」サイドバー2022
OTEMOTO
著者
小林明子

OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。##(中見出し)赤ちゃんが食べられるタオル

池内タオルではタオルハンカチのOEMが好調でしたが、「自社でしかつくることができないものをつくりたい」「新しいことをどこよりも早くやりたい」という思いから、1989年に生まれた「エコマーク」をいち早く取得していました。

ただ、まだ環境に対する考えが浅はかな状態で動いてしまったことから、エコに関心がある人たちからダメ出しされ、環境配慮商品からいったん撤退するという苦い経験をしました。

そんな苦節を経たからこそ、「世界でいちばん安全なタオルをつくりたい」との思いは強まり、ついに1999年、自社ブランド「オーガニック120」を発表しました。僕たちが「永久定番」と呼んでいる、原料から生産までとことんこだわったオーガニックコットンタオルのシリーズです。


# by keishi_ikeuchi | 2024-07-10 13:53 | Comments(0)
タオルの起源のパイル織物はオスマン帝国で創られ、その後、フランス、イギリスへと渡り、遂に綿パイルで工業製品となる!
改めて1935年の日本タオル工業史、1953年今治タオル工業発達史、1966年大阪タオル工業史を読んだ。タオルの起源は何の疑問もなくトルコの織物に発想を得てイギリスで工業化されたと思い込んでいたが、歴史を読み直すと正確さに欠けていた。17−18世紀にオスマン帝国で創られたパイル織物が欧州に伝わり、1811年にフランス・リヨンで絹織物で再現され、1945年にイギリスで毛織物、そして1948年に綿織物が完成する。綿のパイル織物として1963年に工業製品として生産が始まります。パイル織物は稀有な織物として発明され、伝承された織物産地によて絹、毛、綿と素材をかえ成長を続けていく。この綿織物が時間をかけてファッションから現代のタオルへと成長していく。日本タオル工業史によれば日本の業界の習わしとして綿織物をタオルと呼んできたと断り書し、イギリスで綿織物ができた1850年頃をタオルの起源としている。日本に輸入されたタオルは綿織物がスタートであるのでやむを得ない事である。
今治タオル130年②。パイル織物の起源と日本の綿産地に拡がったタオル生産。_d0033692_14162955.jpeg
見よう見まねが始まった日本のタオルは全国33府県の綿繊維産地に拡がる
明治5年1872年にはタオルの輸入統計があり、概ね152年前には既に日本で使われ始めている。あまりにも高価で売買されているドイツの輸入タオル(何とイギリスではない)を見て、手探りで明治13年1880年に井上コマが日本で生産を始める。大阪で始まったタオルの芽は全国の綿織物産地へと広がり大正の後半には全国33の都府県に拡大している。その中の一つ今治で始まるのが1894年で後に二大産地となる大阪に遅れること20年である。全国の主たる綿織物の産地が次々と新分野のタオルに手を出していくのである。綿織物産地の特異性を背景に泉州の単糸・後晒今治の単糸・先晒三重の双糸・後晒で差別化されこの三地域が頭角を表していく。この三地域はタオル織機の改善にも力を注いだ技術力で抜きん出た地域でもあった。その後、織機は手織りから力織機となり生産性は向上し普及の時代となる。泉州は元来、手拭の産地であり、手拭がタオルの浴巾になれば吸水性が上がることに注目し、手拭の発展系としてタオルは作られる。一方、今治は先晒の綿ネルの産地でありタオルは最初から先晒で広幅で作られる。日露戦争を経て大陸が市場として拡大していく中で、生産能力も一気に拡大していく。海外市場を意識した商品開発もスタートするが、海外はバスタオルとして普及を始めており、手拭=浴巾にこだわる泉州と広幅生産に適した今治は違った道を歩き始めていく。出遅れた今治が大正・昭和にかけて努力を重ね、二大産地に成長していく話は次回以降にご猶予ください。

# by keishi_ikeuchi | 2024-07-09 09:51 | Comments(0)